☆勝っても虚しい人生.広島カープの永久欠番、衣笠氏が71歳で亡くなった。
偉大な衣笠氏の人生に感謝しつつ、今ではけして長くないわが人生を重ね合わせた。
衣笠氏は4年前から闘病していたという。
ガン発覚は67歳ということになる。
今、58歳の私が、もし衣笠氏の寿命であるなら、健康でいられる時間は10年にも満たないことになる。
日々の生活、月々、歳々の重さを感じた。
私もいよいよ老後という時代に入る。
60歳定年以降、まだ仕事はするにせよ、還暦以降は老後だ。
そこから命が尽きるまで、悔いのない人生にしたい。
このことはレミゼさんも同じであろう。
さて、私の知人から聞いた虚しい人生の主人公の話をしよう。
それは外資系企業で、出世競争をした虚しい老人の話だ。
彼は、入社以来、出世競争に順当に勝ち続けた。
幾多の同期が落ちていく中、彼は昇進を続けた。
彼の幸せは地位の高さにあったから上位にこだわった。
そして同期で一番上の地位で定年を迎えた。
しかし彼には、心の許せる友人は一人もいなかった。
彼は恐れられ、敬遠され、孤高の人だった。
一方、同期らは平凡のまま終わった。
しかし、心を許す同僚とともに、退職後も交流が続く。
終わってみれば、勝者は孤独であり、敗者は友情を得た。
勝者であったはずの彼は、憔悴した心でつぶやく。
「俺は間違っていた。俺は失敗した」
彼は満たされない老後を生きたのである。
現実に、このようなことがある。
勝つために意地悪をし、勝つために巧妙に立ち振る舞う人生がある。
勝つために幾多のウソもついた。
振り返れば、卑しく、虚しい人生であった。
「いったい、自分は何を成したというのだろう」
そう、彼は勝つためだけに生きたのであり、多くの人々を犠牲にしてお金を得た人生だったのです。
彼の人生を風景に譬えるなら砂漠です。
緑もないし、鳥も小動物もいない。
潤いも安らぎもない人生。
対して、競争に負け、人間らしく生きた社員たちがいます。
給与も地位も、勝者の半分程度の生活だった。
食べるものも、着るものも、住む家も、勝者の半分。
けれど、人間らしい人々には、人間らしい老後がある。
お金の多さや地位の高さが幸せの大きさではありません。
幸せとは「生き方」の中にある。「思い出」にある。
意地悪をしたり、陰湿な立ち振る舞いに終始して得た人生に、満足があろうはずもない。
人を傷つけたり、手柄を独り占めにしたり、裏切ったり・・
そんな生活の果てに幸福などあろうはずもない。
たとえ貧しくても、世のため人のために尽くす人生にしたい。
私はそういう老後にしたいです。
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