☆新シリーズのご案内.
Q1.菊川さんは40歳から信心を真剣に始めた、と書かれています。
婦人部の方が親身になってくださったようですが、
いつか、その信心に戻る過程を詳しく
書いて頂けるとうれしいです。
座談会参加→唱題会参加→暫くして協議会参加?
→数年後自宅を拠点なのでしょうか。
それぞれかかった期間、辛抱どころはどこだったのか等々。
数年間座談会に出れなくなると、よそ者扱いで戻るのはハードル高い、
でも心の中では戻りたい方は、きっとたくさんいると思います。
私も久しぶりに参加したときは、周りがどう扱ってよいかわからない様子でとても居心地が悪く、相当我慢が必要でした。
1人で戻ろうとする方は、本当に大変だと思います。
A1.私は10年の未活動期に、壮年、婦人部が幾度も自宅訪問され、掘り起こしのチャレンジをされていました。
当時、私は聖教新聞だけは取っていました。
ですから、貴重な未活だったと思われます。
でも、新聞は読みませんし、勤行もしません。
仏壇は閉じたままでした。
学会員の訪問は面倒で、いつも居留守を使っていました。
奥さんに対応してもらい「主人はいません」と言ってもらいました。
しかし、クルマを洗車していたり、たまたま庭にいたりするとそうもいかず、しかたなく対話をするのでした。
で、思ったことは「この人たちはよほど不幸なんだろう」ということ。
当時、信心とは「困ったときの神頼み」で、「困ってるからやる」というふうに考えていました。
わざわざ家庭訪問する人は不幸なんだと本気で思っていました。
しかし、それは間違った認識でした。
活動が歓喜の発露であると知ったのは、かなり後のことです。
そんな私ですが、心の中では学会は正しい、素晴らしいとの思いはずっとありました。
新聞を取り続けていたのは根本にその理由があったからです。
ただし読まない。否、読めない。
食べたいと思わない、だから食べないのと同じ。
27歳のとき「困ったときの神頼み」信心は経験した。
けれど、本当の仏道修行は40歳以降です。
私が40歳の時、職場で悩み、誰に言われるでもなく、仏壇を開き、細々とお題目を唱えるようになりました。
そこから、私は本当の信心を始めることになります。
まったくの退転人間が、座談会の会場提供者にまで変貌しました。
リクエストをいただいて、書く価値ありと思いました。
シリーズ名は「学会復帰への道」にします。
では、次回からこうご期待!
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