☆灰色に見えた座談会.世田谷区に7年。次に引っ越したのは千葉県でした。
職場が茨城県に移転、どうしても引っ越ししなければなりません。
でも千葉県より北に住みたくなかったのです。
当時、茨城県は東北だと誤認していました。(笑い)
東北を差別している訳ではありませんが、西日本の出身の私とすると東北は遠い異国の地だったのです。
私にとって北限は千葉県。ということで茨城県に隣接する千葉県の最北端のマンションに移転しました。
そこに行くと、また、学会員が訪れました。
そしてまた、座談会に参加したのです。
するとどうでしょう。参加してビックリの座談会でした。
理由は「高齢者の集団」の座談会だったのです。
私は34歳?で若く、皆、喜んでくれました。
でも、私はとても違和感を感じました。
「ここに私はそぐわない」と。
灰色のような座談会で、参加したくなかった。
歓喜が得られないから。ものすごく違和感を感じたから。
でも、今は違いますよ。もし、今、あの地区の住民になったら・・
私は灰色の座談会を色とりどりの歓喜の座談会にします。
今なら、環境のせいにしない。使命に変える。
でも、当時はそんな信心はない。
他力本願の学会員もどきだった。
実は、私の奥さんが茨城県の職場に近い場所で土地を探してきました。
環境もいいところでしたし、ローンも組める。
ということで、家を購入することにしたのです。
ですから千葉県からすぐ茨城県の住民になりました。
私はいよいよ、35歳にして家を持つことになりました。
ちなみに、千葉県の組織、特別悪い組織でなかったと思います。
当時の私の境涯が低かったのだと思います。
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