☆創価学会に復帰する.私は35歳にして家を持ちました。
50坪の土地に普通の家が建ちました。
在来の軸組み工法の平凡な家です。
環境は良く、とても気に入った場所でした。
庭を広く取り、憧れの芝を植えました。
茨城県は北関東に位置し、東北ではありません。
でも、私はずっと東北だと誤認していました。
そもそも、茨城県という県をまったく知らなかった。
でも、住めば都でとても居心地の良いところでした。
引っ越すと、また学会員がやってきました。
そこで、また地元の座談会に参加しました。
新しい地区の会合は、華やかでした。
とても元気な地区で、子供が沢山いました。
そして、歓喜一杯の会合で「幸せ!」を絶叫していました。
しかし、私はなじめませんでした。
何だか幸せ過ぎる光景に自分の居場所を感じなかったのです。
結局、私は新聞だけ取る学会員の生活を続けました。
ときどき壮年部員や婦人部が訪問してきました。
婦人部が来たのは私の奥さんも学会員だったから。
でも、うちの奥さんも信心はしておらず、鳴かず飛ばずでした。
(小会合ぐらいは出ていたことでしょう)
ともかく私は仕事中心で朝から晩まで仕事ばかり。
職場はやりがいに満ちていたし、楽しかった。
でも心には、とこかに寂しさ、虚しさもありました。
心の底では、創価学会で活躍する憧れのY先輩がいたし、やはり尊敬する牧口先生や戸田先生、池田先生がいたのです。
でも、学会員として生活できない自分がありました。
「やがて父も、母も亡くなるだろう。寂しい人生になるんだろうな」
こんなふうに思っていたのです。
でも、仕事は楽しいから、あっという間に5年が経過しました。
でも「あの」窓際生活の“事件”が訪れるのです。
私は会社である意味「君臨」していたのです。
研究で手柄をたて、会社の商品開発で私に肩を並べる人はいなかった。
私は大きな影響力を持っていたし、皆、一目置いていました。
その私が、ある日を境に「窓際族」に転落するのです。
同じ時期に、私の奥さんと隣人とのトラブルが重なりました。
隣人が、私の奥さんと隣人の夫が浮気をしていると勘違いし、猛烈なイヤガラセをするようになったのです。
奥さんは地区担(今の白ゆり長)に悩みを相談し、信心するようになり、私は私で、窓際族に追い込まれる中で勤行・唱題を開始しました。
でも、座談会に参加するようになるには、そこから1年を要します。
“事件”は以下の記事に詳細に書きました。
sokamori2.exblog.jp/24321611/こうして悩みに悩んで地区担の家(アパート)に奥さんと私が一緒に出入りするようになりました。
その婦人部は、私より年下で、2人の小さな子供がいました。
御主人は信心していませんでした。
私が「功徳って本当にありますか?」と聞くと
彼女は大確信で「ありますよ、間違いない」と言うのです。
10歳近い年下の彼女の言い方も面白い。
とにかく、こうして学会復帰への道が開かれるのです。
ここから私は会合にも参加するようになりました。
一つは同時放送、もう一つは座談会。
同時放送は池田先生が直接、ご指導くださる。
嬉しかったですね、10年も学会から離れていましたから。
学会歌に涙、先生の指導に涙した。シビレました。
「あゝこれだ。これが学会なんだ」って。
座談会は、私の記憶ではブロック座からだと記憶してます。
その座談会は居心地がよかったのです。
なぜでしょう。お題目で命が変わっていたのでしょうか。
あるいは窓際族で苦労し、学会員の命の美しさを感じられるようになったからでしょうか。
その懐かしい感覚は、まるで少年部の時、田舎の座談会に参加していたような温かみと、喜びを彷彿とさせるものでした。
「ここからもう一度、学会員になろう」と思いました。
やがてその婦人部が引っ越しされました。
そのことはかなり悲しいことでした。
でも次の地区担もとても素晴らしい人でした。
ブロック長は普通の人でした。(笑い)
そのブロック長はある意味どんくさい人でしたが、私は好きでした。
見栄を張らないし、ありのまま。勤行だって導師はイマイチ。
でも、水の流れるような信心と柔和な顔。
私は、ついに真実の学会にたどり着いたのです。
学会と言っても、実像はリアルな学会員の中にあります。
そこに納得のできる学会員が一人いればよいのだと思います。
その一人の人生に共感できれば、全体の共感となる。
私はRさん、Wさんという二人の婦人部からそれを学んだ。
素晴らしい人は、それだけではなかった。
その他の良い人が次々に現れた。
「花をつけ 初めて分かる 桜かな」という俳句があります。
時が来て花をつけた桜を見て、初めて、そこに桜があると気付いたという俳句ですが、近隣の学会員と深く接するようになって、初めてその人たちの素晴らしさを知った。
そんな生活をして改めて驚いたことがあります。
それは、いつの間にか、宗門に学会が破門されていたこと。
実は、私も破門されていたらしいということ。
このことは、しばらく違和感を感じていました。
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