☆幸せはカタチではない.東京都の西から世田谷、そして千葉、さらに茨城へ・・
私は転々と住み家を変え、やっと家を建たが手放した。
でも、家がすぐに売れたことは不幸中の幸いでした。
sokamori2.exblog.jp/28316303/一体、これから私はどこに行くのでしょうか。
ともかく、私は40歳から信仰を再開しました。
41歳で窓際族となり、2年以上も幽閉生活が続きました。
子供がいれば、子育てに注力することもできたでしょう。
でも、子供がいない。仕事は干されている。
どうです? 私は何をすればいいのですか?
私は信心した。御書を読み、法華経を読んだのです。
「仕事に干される苦痛」って、体験なき人は良く分からないでしょう。
辛いですよ。しかもそれまで.君臨していたのですから。
ボス猿が転落して独りぼっち。(笑い)
転落した人間に近寄る人はいない。
さて、結婚して、多くは子供が生まれ、子育てをします。
私には子供がいない。それは寂しいものでした。
小学生、中学生、高校生、大学、成人式、結婚・・
それを親として支え、見守る・・
それはやりがいのある一大事業です。
仕事もない。子供もない。田舎には母一人。
何と寂しい人生でしょう。私は幸せになれるのでしょうか。
私は幽閉された個室で、御書を見つめていました。
御書には、子供について2つのことが書かれています。
1つは「子は宝」、1つは「子は不幸の因」。
子供は親にとって宝であり、一方で不幸の元凶と記されています。
親を殺す子あり。親を幸せにする子あり。
すなわちカタチではない。幸、不幸は境涯で決まるのです。
私はやがて、御書の中に「幸せの正体」を発見します。
それは「一生成仏」。仏として生きることでした。
たった一言の真実。それを私は納得したのです。
仏として生きるとは「利他の歓喜に生きる」ということ。
結婚、未婚、子の有無、年齢、場所に関係なく、
どんなカタチであろうとも、仏の人生は完璧に幸福なのです。
このことを知った。その瞬間から・・
私は子供がいないことを武器に変えたのです。
学会活動、自治会の役員、防災担当、友人付き合い・・
子供がいないことは「時間がある」ということ。
さらに言えば「経済的に楽」ということ。
今、私はひらがな御書をやっています。
奥さんは絵手紙の講師をしています。
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