☆ついに活動家になる.sokamori2.exblog.jp/28321837/こうして、ついに最終的な地区にたどり着いた。
岡山の家を出て、学生で東京に住み、何度引っ越したろうか。
7回であろうか、8回であろうか。
都度、地区が変わった。肌に合わない地区もあった。
灰色の座談会があった。居留守の常習犯だった。
けれど、窓際で目覚めた私にとって、組織云々はもはやない。
もし、暗く悲しい地区あれば、私が明るくする。
どんな組織だっていい。私が元気にする。
以前の千葉のような老人ばかりの地区なら、
私が若手のホープにもなろう。
学会組織が云々ではなく、全部、自分で切り開こう。
私が引っ越して半年後、サプライズがあった。
私を幽閉していた社長と常務とが会社を辞任したのです。
そこから私は職場復帰を果たしました。
全部門20名近くの所員の責任者に返り咲いた。
一切が解決された。その勝利は劇的でした。
会社の株価は暴落、関係者は大損した。
私は持ち株を高値で売れた。
もし、あの時、引っ越しなければ株は売らなった。
だとするなら1500万円が消えたことになる。
家を売ってすぐに売れたこと。持ち株が高値で売れたこと。
だから、高価な仏壇が買えたのです。
普通、買えませんよ。我が家の仏壇。
私は株を仕方なく売り、そのタイミングが株の高値だったのです。
今、あれから15年たち、株は無価値になっています。
多くの人々は株をお金に変えられなかった。
私は守られたのです。功徳です。
しばらくすると私はブロック長になりました。
私の歓喜は止めどなく、新しい地区に溶け込みました。
座談会会場として提供したりしました。
奥さんの両親も呼び、一緒に暮らしました。
今、私は町の自主防災組織の一員として役割を担っています。
こうして、私の生活は短期間に大変化を遂げたのです。
大悪起これば大善と大聖人は記されています。
まさに、夫婦でまさかの坂にころがり落ち、信心をした。
その「たったの3年」信心で全てが変わった。
まるで黒が白になるほどに変化したのです。
今、私はあの時以来、18年、信心を続けています。
創価の森ブログは、功徳を語るためにスタートしました。
そのブログは10年になろうとしています。
今も私は功徳を日々に受けています。
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