☆新・人革「誓願48」より.「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる」
sokamori2.exblog.jp/28327229/この内容で前回、記事を書きました。
現在連載中の新・人間革命に「宿命との闘争」の記述がありました。
以下に、その内容の一部を抜粋して感想を述べます。
「人生は宿命との容赦なき闘争といえる。
愛する人を失うこともあれば、自ら病に倒れることもある。
あるいは、家庭の不和、子供の非行、失業、倒産、生活苦・・
これでもか、これでもかと、怒涛のごとく苦難は襲いかかってくる。
だからこそ、信心なのだ。自らを強くするのだ。
信心で乗り越えられぬ宿命など断じてない。
苦難に負けず、労苦を重ねた分だけ、心は鍛えられ、強く、深くなり、
どんな試練をも乗り越えていける力が培われていく。
さらに人の苦しみ、悲しみが分かり、悩める人と共感、同苦し、
心から励ますことができる。
また、苦難に挫けることなく、敢然と戦い進むその生き方自体が、
仏法の偉大なる力の証明となっていく。
つまり、広宣流布に生き抜く時、
宿命は、そのまま自身の尊き使命となり、
苦悩は心の財宝となる」
(新・人間革命30巻誓願48より)
掲載文に、池田先生の年齢が58歳に近づいていると記されていた。
また、この58歳は戸田先生が亡くなられた年齢であり、
また第四代会長の北条氏も亡くなった年齢とも書かれていた。
私は今、58歳である。不思議な縁(えにし)を感じた。
池田先生がくしくも書かれた「人生とは宿命との容赦なき闘争」の
記述は、私の人生を振り返っても「その通り」である。
私は家庭崩壊を27歳の時体験した。
さらに家族との死別、隣人とのトラブル、窓際族、親族の病気、
事業の失敗、嫉妬による批判や嫌がらせ、ストレス起因の難聴など、
苦難に枚挙の暇はなかった。
それら一つひとつの苦悩は重く激しいものだった。
今も、私は難聴の問題を抱えつつ私は生活している。
仕事に、活動に、ひらがな御書の制作に、あらゆることに
苦難は不意打ちをもって出現するのです。
まさに「これでもか、これでもか」と訪れ来る。
けれど、確かにこれらの問題は私を強くしたし、鍛えてくれた。
「苦悩は心の財宝となる」ということに共感できる。
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