☆本当の満足は成仏.御義口伝(720ページ)に以下の御文あります。
以下に、交互文でご紹介申し上げます。
いま にちれんが となうるところの なんみょうほうれんげきょうは まつぽう 1まんねんの しゅじょうまで じょうぶつ せしむるなり.
今 日蓮が 唱うる所の 南無妙法蓮華経は 末法一万年の 衆生まで 成仏せしむるなり.
みょうほうの だいりょうやくを もって いっさいしゅじょうの むみょうの たいびょうを じせんこと うたがい なきなり.
妙法の 大良薬を 以て 一切衆生の 無明の 大病を 治せん事 疑い 無きなり.
まんぞくとは じょうぶつと いうことなり.
満足とは 成仏と 云う事なり. 「満足とは成仏である」と日蓮大聖人は述べられています。
個人的に思っていること(確信していること)は、
成仏とは、要するに学会員として生きることなのです。
学会員として広宣流布に生きることが成仏です。
それが幸せ。他の幸せなんか小さい。
そのことに心から「そうだ」と思える人は、
すでに幸せを手に入れている人なのです。
一方「なんだそれ?」と思っている人は厳しい。
私から言わせると、座談会に出いような人は仏ではない。
幸せになれるはずがないのです。
(入院、出張、仕事の都合は別です)
そもそも、成仏は「苦労して掴むもの」です。
信心して楽しいばかりで掴める境涯でもないです。
極楽百年の信心は、結局、浦島太郎のように虚しい。
これでもか、これでもかと押し寄せる難を受け切って
掴むものが成仏なのではないでしょうか。
先にも述べましたが、大聖人の仏法は火の信心では得られない。
水の信心。普通の信心でいいのです。
大事なことは弛まず継続する信心です。
ただし、不信はまったくだめです。
御義口伝に次のようにあります。(721ページ)
あくにんとは ほうねん こうぼう じかく ちしょう とう なり
ほとけとは にちれん とうの たぐい なり
いちじょうとは みょうほうれんげきょう なり
ふしんの ゆえに さんあくどうに だすべきなり.
悪人とは法然 弘法 慈覚 智証等なり
仏とは日蓮等の類いなり
一乗とは妙法蓮華経なり
不信の故に三悪道に堕す可きなり.
不信なら三悪道だと大聖人は教えてくださっている。
大事なことは信力です。学会を疑わないこと。
学会活動ですけど、バリバリの活動家でなくていいのです。
中くらいの活動、そこそこの活動で成仏できるんです。
難を受け止めつつ、できることをする。
信じる、信じ抜くことです。
信じられないなら御書を読みましょう。
そして、唱題することです。
選挙になればFをとる。1人でよい。
悩める友がいたら仏法対話をする。1人でよい。
座談会で笑顔で話をする。一言でよい。
御書を読む。一行でよい。
1つ1つ、万感の思いで行動することが広宣流布です。
仕事だって広宣流布です。後ろ指刺されない仕事をすることです。
苦しく面白くない職場を、楽しく面白い職場にするんです。
それが広宣流布です。折伏だけが広宣流布ではないです。
仕事は仏道修行ですよ。学会員として皆が見ているのですから。
その生き方そのものが折伏になるんです。
私はそう思って仕事をしています。
さあ皆さん、会員としての至極の悦びを感じながら、
立場立場で、できることからやりましょう。
いつか、「生きているだけで幸せ」となれるように、
決めて、祈って、行動しましょう!
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