☆座談会に真実が見える.学会復帰への道についていくつかの角度から語りました。
その中で、「座談会の重要性」について記しました。
なぜ座談会出席が重要なのかについて、今回は掘り下げます。
座談会には本当の創価学会があるのです。
そこには高齢者がいるし、現役世代も未来部もいます。
庶民がいる、場合によっては弁護士や経営者もいる。
雑多で多様な学会員がいるのです。
表面的に見れば、社会的地位の高さに比例して雄弁な傾向があります。
一方、シドロモドロに話す平凡な学会員がいます。
けれど、よくよく観察すると、学歴も地位も能力もまったく関係ないことが見えてくるのです。
能力が高く弁の立つ人が必ずしも広宣流布をしているわけではないく、折伏や新聞啓蒙やFなどを、実際には大してやっていない。
一方、平凡でシドロモドロの人がしっかりやっているということがある。
およそ日蓮大聖人の弟子として、一生成仏という幸福の道を歩むにあたり、「利根」だからよい、「鈍根」だからだめということはありません。
法華初心成仏抄に次の御文があります。
「りこん どんこん ひとしく ほううを ふらす」
「
利根 鈍根 等しく 法雨を 雨す」(547)
これなんですよ、出来が悪くてもいいのです。
頭がいいから広宣流布できる訳ではなく、
頭が悪いから広宣流布ができない訳でもない。
どんな立場でも「等しく」広宣流布を果たせるのです。
さらに次のように大聖人は仰せです。
これらの もんの こころは
りこんにても あれ どんこんにても あれ
じかいにても あれ はかいにても あれ
きも あれ せんも あれ
いっさいの ぼさつ ぼんぷ にじょうは ほけきょうにて
じょうぶつとくどう なるべしと いう もん なるをや.
此等の 文の 心は 利根にても あれ 鈍根にても あれ
持戒にても あれ 破戒にても あれ 貴も あれ 賤も あれ
一切の 菩薩 凡夫 二乗は 法華経にて
成仏 得道 なるべしと 云う 文 なるをや.
一切の宿業の多様な人々は、法華経において全員が成仏する。
全員が成仏するというのは、全員が広宣流布できるからです。
いくら弁が立っても、折伏を全然できていない、なんて人いますよ。
選挙になると批判ばかりしてやらない人いますよ。
勇ましいこと言ったって部員さん回りもしない、
偉そうな話だけ、という人いますよ。
逆に、シドロモドロの人、ヨボヨボの人が折伏も沢山して、
啓蒙もFも沢山する人いますよ。
それが座談会で全部はっきりするんです。
はっきりというのは、一回や二回、見たところで分からない。
1年、2年、3年、5年、10年と見続けて見える。
だから水の信心だし、だから座談会の継続なんです。
上記の御書に記されいるように、鈍根であろうと、二乗であろうと、
賤しい人であろうと、凡夫であろうと、どうであれ仏になれる。
そもそも仏は世界一幸せな人なんですよ。
シドロモドロの仏、ヨボヨボの仏は、雄弁で有能で金持ちのニセ仏の何百倍も幸せですよ。
それは座談会や協議会でしか見えない。
そこに本音や真実の隠しようのない姿があるから。
東大を出て弁護士になった人がシドロモドロの人に勝てない。
これが創価学会の本当の現実です。
私ね、ずっと平凡な学会員で十分とか、60点合格と言っている。
大事なことは能力じゃないんですよ。
平凡だろうと、平凡以下だろうと、弱虫だろうと、見てくれが貧相だろうと、病気を抱えていてもいいのです。
ありのままの姿、ありのままの立場で広宣流布をする・・
そのことで悔いのない幸せな人生を歩めるのです。
ネットにせよリアルにせよ、「あいつはバカだ」「あいつはでたらめだ」と批判ばかりしている人がいるでしょう?
分かっていないんですよ、全然、分かっていない。
そういう人は成仏の軌道が見えていないのです。
<別館>ブログトップへ