☆今も昔も創価が一番.子供時代、私は学会の庭に生きた。
庶民の飾らないありのままの会合を見ていた。
集う人たちは仕事帰りだったり、普段着の人で、
中には背広の人もいたが、多くは普通の庶民だった。
勤行あり、学会歌あり、心地よい話や笑い声があった。
子供だから難解な御書の意味はよく分からなかった。
でも、池田先生と日蓮大聖人の存在は特別で、
御本尊様はまったくスゴイものだと繰り返し聞かされた。
学会の中で、未来ある子供の私は大切に扱われた。
それらのことは肌身を通じて理解した。
けれど、思春期になり自我が目覚めると、自分の実力が見える。
すると、能力のない自分を発見して悩んだ。
さらに高校、大学に進むと、余計に悩んだ。
「自分は学会に泥を塗る人間になるんじゃないか」
「自分には広宣流布はできないんじゃないか」
「先生は偉大でも、自分はカスだ」
こうして、惨めなる自分に愕然としたのです。
そして学会から乖離していった。
やがてその非力さは、大人になってさらに鮮明になります。
奥さんに捨てられた。仕事で悩んだ。自分の程度がはっきりした。
悔しいがこれが現実。一体、自分の人生はどうなるのか・・
都会の底辺に汗まみれになって働く自分があった。
クリスマスに、美し街を着飾った恋人たちが笑顔で歩いていた。
作業着で働く自分は無性に悲しくなった。虚しくなった。
そんな私が唯一、自分の価値を見出せるようになったのが仕事でした。
仕事は一生懸命に取り組めば評価されますから。
努力すれば確実に喜ばれるものでした。
そこに私は生きる望みを見出した。
そして、仕事に邁進したのでした。
気が付くと部長になっていた。
その私が窓際族に追い込まれたときの悲惨は半端なかった。
全てを失ったような悲しみの中にふさぎ込んだ
虚しさ、やるせなさ、怒り・・
そこで私は信心を再開する。
以来、18年の歳月が流れ、私は58歳になっています。
この18年の歳月は、いつも頑張っていた訳ではありません。
うつろう信仰心、疲労からの逃避もあった。
けれど、決まって学会から離れると不幸なのです。
学会の中にいて、学会の心があると幸福なのです。
そこで学んだのは「幸せなのは学会員の時だけ」ということ。
学会から離れれば不幸、学会に生きれば幸福。
100%そうなった。いつもそうでした。
所詮、広宣流布しかないと理解した。
勿論、私は池田先生のような強固な信心はありません。
でも先生の譬え万分の一でもやればやった分、
私は幸せだし、その幸せは比類なき幸せなのです。
退転者は学会に戻るしかないですよ。
学会以外で、幸せにはなれないですから。
<別館>ブログトップへ