☆池田先生の人生に学ぶ.漢詩内容「十度中華大地行 慈悲為本頌和平
夢中飛到淮陰地 也種恩来夫婦櫻」
趣意:「十回にわたる中国への訪問を通して
仏法の慈悲の精神に基づき 共々に平和を推進した。
夢の中でも 周恩来総理の故郷・淮陰(わいいん)の地で、
総理夫妻を讃える桜を 植えたいと願いました」
以下に掲載された池田先生の漢詩の写真を添付します。
先日、聖教新聞は池田先生への名誉称号授与を伝えました。
この称号は、中国「淮陰(わいいん)師範学院」が、池田先生の
世界平和実現に向けた長年にわたる貢献を讃えたものです。
池田先生は同学院に四行の漢詩と謝辞を書き送られました。
「今、私の胸には、あの凛として、
しかも深く温かな周総理の声が響いています。
1974年12月5日の夜、北京の病院での一期一会の語らいでした。
総理は「日中友好は私たちの共通の願望です。
共に努力していきましょう」と語られ、
「未来のために中日平和友好条約の早期締結を希望します」と
若い私に託されるが如く言われました。
周総理の生誕120周年の意義深き本年、
総理が願われた平和友好条約から40周年の秋、
総理の故郷に聳え立つ名門・淮陰師範学院より
「名誉教授」の称号を賜り、これ以上の名誉はありません。
きょうは周総理から貴学院の志から三点学ばさせていただきます。
第一に「無窮の力を解き放つ、報恩の志」です。
20歳の周青年の日記には次の内容が記されています。
「仏は報恩こそ無上のものだという」
「報恩の志を立て、ひとかどの仕事をして、
彼らの心を安んじ、一生をむざむざ過ごすまい」
報恩の志こそ、若き生命の無窮の力を開き、
そして解き放つ鍵でありましょう。
第二に、「何のためを忘れぬ向学の志」です。
創価大学には同じ精神で、「英知を磨くは何のため、
君よ、それを忘るるな」ととどめています。
「何のため」を堅持する学びが、鮮烈な創造力を湧きたたせます。
第三に、「平和を広げる世界市民の志」です。
「身を捧げて労苦を尽くす」の覚悟で人民のため、
尽くし抜かれた周総理は、12歳で故郷を旅立たれ、
以来、故郷の土を踏むことはありませんでした。
しかし「祖国を愛する人に、自らの故郷を愛さぬ人はいない」と語れ、
周総理の心はいつも淮安とともにありました。
貴学院が創立された翌年、周総理は広州から北京に向かう途中、
淮安の上空で高度を下げ、三度、旋回された。
今、郷土のため、祖国のため、民衆のため、
さらに人類のために、これらの志を継承されゆく貴学院の発展と、
淮安の繁栄を、総理は会心の笑顔で見守られていることでしょう」
(以上、聖教新聞2018年11月1日より)
このようなことを申し上げると不遜ですけれど、中国からの名誉称号を受けていることは、尖閣問題、南シナ海問題を考えるとき「ひょっとして中国の謀略?」と、気味悪く思っていたことも事実なのです。
その中で先日には原田会率いる訪中団が北京入りした。
sokamori2.exblog.jp/28730559/一方、公明党は柔らかくも理想を伝えています。
sokamori2.exblog.jp/28744592/この源は、池田先生の一貫した中国との交流の実績があります。
今回の漢詩と謝辞で先生は何を伝えているでしょうか。
それは、中国を十回訪問したこと、
その交流を通じて共々に平和を推進したこと、
そして「報恩」と「平和を広げる世界市民の志」で「平和」
(何のためは平和にある)を、互いに身を捧げて労苦しましょう」
と言われているのです。
対立し、批判するのではなく、言うことはこの一点です。
「恒久平和を一緒に作りましょう」とひたすらに・・
これが創価の模範たる行動です。その姿勢は崩さない。
例え中国が南シナ海を制圧し、わがもの顔で軍艦を浮かべても、
私たちは自衛の処置(海上警備艇や自衛隊艦艇で対処)を施しつつ、
それでも「平和を作りましょう」と言い続ける。
笑顔で語り、真剣な目で訴え続けること。
決して怒らず、言葉柔らかく延々と対処する・・
それ以外にない。その姿勢を崩さない。
これが池田SGI会長の姿勢であり行動なのです。
おそらく、この方法が最強の方法なのです。
それは、今というより、100年、1000年先を見ての行動です。
アジアの平和と存在する一切の国々が平等に分かち合い生きるのです。
池田先生は永遠の日中の金の橋を残そうとされている、
そういうことではないでしょうか。
では、このような池田先生のメッセージを中国はどう受け止め、
どのように感じているのでしょうか。
次の記事では、中国における池田大作研究について述べ、
創価学会、公明党の使命について考えたいと思います。
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