☆粘着的批判者の本質.「罪や欠点を帳消しにする」と題された記事を見ました。
以下にその記事の文章を引用し、所感を申し上げます。
>自分の欠点を自覚するようになれば一人前、いや、かなりのものだ。
私の職場に、30もとおに過ぎていたり、40にもなろうという女達で、
他人の欠点を辛辣に罵る人達がいる。
それを見て思うのは、「確かに、その人にも欠点はあるが、
お前達のその欠点に比べれば、ものの数ではない。
むしろ、立派な人だ」である。
人間は、死んだ後で、人々が自分をどう言うかが気になるものらしい。
私は、そんなことは考えたことがなかったが、
あの女達を見て、こう言われたいと思うようになった。
「人の悪口だけは決して言わない人だった」・・
kaynotes.com/archives/9159036より
なかなかの名文に感心しつつ読みました。
さて、ネットで意地悪され、幾多の悪口を言われてきた私。
私は悪口を言われるイコール、悪者に仕立てられると恐れ、
名誉を守るためにわざわざ掲示板などに出向いて反論しました。
ところが、その行為は火に油を注ぐ結果にしかならなかった。
悪意の人たちに関わると大変なことになります。
ある日、私が「大客殿で日興上人の御本尊に太陽光が当たり、金文字が輝いた」とブログに書いたことで、ある掲示板が大騒ぎをしました。
私は事実その輝きを見たし、そのことを記事にした。
ところが掲示板の悪意の人たちは「あり得ない」と言う。「そもそも、太陽光線が当たる位置に御本尊を安置しない」と徹底的に批判された。
今はなき大客殿の出来事であり、存在しない建物で証明もできない。
「正月の朝日が窓から入り、板の間に反射した光が当たったのだと思う」
そんなふうに書き込みしたが、批判は膨れ上がるばかり。
当時、学会員は「善人」で、話せば分かってもらえると信じていました。
しかし、それは甘えでしかなかった。学会員の中にもワルがいる。
悪意の人は、最初から「憎しみ」があるので対話は通用しない。
結果、散々バカにされ、叩かれて終わりました。
御本尊に光が当たる、当たらないで「猛烈」に批判されるなんて・・
そんな意味不明の出来事が本当にあるものでした。
毎日批判されました。1日にいくつも・・
7年×365日×5としても、1万2775の批判になる。
その程度は間違いなく物理的に批判された。
それは一人や二人ではありません。
彼らはいかに私がワルかを広げようとした。
さらには、本来、正常であろう会員すら、
怒り狂い、連日、批判を繰り返した。
あまりの激しさに、ネットを見ることが怖くなりました。
気味の悪いコメントが山ほどネットに流れたのです。
(その批判者の痕跡が今も少量ネットにあります)
あるとき「戸田先生の小説・人間革命はフィクション」と書きました。
そのことでも「菊川はトンデモナイやつだ!」と批判された。
私は、池田先生が何かの指導で「戸田先生ご自身がフイクションであると発言されていた」ことを読んでいたし、そもそも、小説を読めば、主人公の「巌」さんの人生が、作り物であることは誰の目にも明らかなのに・・
当時、フイクションであることが分かっている他の人も口を出しません。
批判者らが「祭り」のように騒ぐので、
あえて火中の栗を拾うことを避けたのでしょう。
私は「ラストの獄中体験はノンフィクションだが、それ以外はフイクション」「ただし、内容は比喩であり、当時の描写はフイクションでありながら、真実を述べている」と反論した。
でも、批判者は延々とその批判を繰り返した。
その後、随分経って戸田先生のyoutubeを発見した。
「本当のことは書いてないんだよ。でたらめなんだ」と
戸田先生が語る録音テープyoutubeでした。
そのyoutubeを紹介した記事を以下に示します。
https://sokafree.exblog.jp/28048141/当時の批判者が、この記事を見ているかどうか知りません。
けれどこの決定的証拠をもって、当時の批判がいかに誤ったものであったかは明白でしょう。
いずれにしても今も分からないことがあります。
それは、異常極まりない批判のための批判の目的です。
おそらく「憎しみ」であり「怒り」です。
そういう命は、本来の学会員ではありません。
皆さまも、学会員だから善人、そうでないから悪人、
学会員だから話合えば何でも解決できるというような、
誤まった考え方は捨ててください。
学会員も外部の人と変わらないのです。
良い人もいれば、悪い人もいます。
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