☆不退転に未来がある.あなた様のような人は少なくないですし、せっかくですから
正式な記事でアドバイスをいたしましょう。
Q1.>うつになりやすい思考・脳のつくり・性質を持つ自分自身が学会員としてどのようにうまくやっていけるかということなのです。
研鑽や活動を熱心にやればやろうとするほど体調が悪くなってしまう.
会合には参加できるときに参加する、祈りたいときに祈るといった中途半端な状態になってしまっています。 (母からは、そんなんじゃダメだと言われ、地区では組織での活躍を期待されています)
>自分のことだけで精一杯な状態にひどく落ち込むことがあります。
今は病気を克服する途上で、自分自身の健康と幸せになるための基盤をしっかり築くときであり、人のことよりも自分のことに専念するときなんだと、はやる心を落ち着かせるようにしています。
>世の中のほとんどの人は、精神的な病気をあまり知らない人たちです。
それは学会員も同じで、自分自身が経験したか、もしくは身近にそういう人がいるという人でなければ、自分のことを話すのは躊躇してしまいます。うつ病なんて、気持ちの持ちようだ、題目をあげて生命力をつければいいのだと私は以前考えていたので、それだけに打ち明けることなどなかなかできません。
>いつからか、池田先生の言葉がとても重く感じるようになりました。
新聞の「正義」や「勝利」の文字を見るだけで具合が悪くなります。
ですので、あまり研鑽もしたくありません。
>先日カウンセラーから「世の中のほとんどの人は宗教をやっていない。でも努力して幸せになっている人もいる。自分自身、今幸せだ」「現に、あなたのお母さんは幸せですか?」と言われたとき、生まれてはじめて学会を辞めようかと思いました。そして辞めた人のことを調べようとネットを見ていたところ、このブログにたどり着き、考えをあらためました。
自分でもどうしたらよいのかわかりません。「ジョギングから」と言ってくださったので、あまり深く考えず頑張ろうと思います。
A1.少し、コメント欄で私の意見を述べさせていただきましたが、
あなた様のような人はあなただけではありません。
私はうつ病という言葉が一般的でない時代に、無気力、無関心、無行動といった「三無主義」という言葉だった40年も昔に、あなたと同じように頑張れない時代があったし、その後も全然、頑張れなかったのです。
(私が信心をしっかりできるようになったのは40歳以降です)
そんな私は、あなたと同じように池田先生は遠い存在でした。
周囲で光り輝く学生部や男子部と自分を比べ惨めな気持ちに沈みました。
学会活動が楽しくなく、会合に出れば砂を噛むような気持ちになり、悲しくなり、逃げるように会場から引き上げました。
私は「広宣流布」という言葉を口にできませんでした。
「自分には広宣流布はできない」「自分は学会の面汚しだ」と自分を責め、だから会合にも行かず、学会に疎遠になって生活していたのです。
ただ、私は、御本尊を巻いたことはありません。
締めきっていても、御本尊は仏壇にあったし、
読まないけれど聖教新聞だけは取り続けました。
そんな私が信心をしたのは、宿業の炎に焼かれたからです。
一つは離婚問題、もう一つが仕事の問題でした。
sokanomori.exblog.jp/15414508/sokanomori.exblog.jp/15414796/どちらも絶体絶命で、これに負けたら生きていけない状況でした。
それまで信心を本気でしたことはありません。
太鼓を強く打てば、強く響くように、私は必死に御本尊に祈り、粘り強く耐えて大功徳を受けました。それが私の「覚醒の時」だったのです。そこから学会が大好きになれたし、池田先生の偉大さを知りました。
今、私は平凡ながら一人前の学会員になれました。
普通の学会員になれたことが私の「正義」であり「勝利」です。
何もバリバリの活動家になる必要もないし、自分らしく
一人前の社会人として生活でき、周囲を励ませる自分なら
それは間違いなく人材だし、その自分を使って
小さな学会活動ができるというだけで、スゴイことなのです。
今、あなたは少ないかも知れないけど会合に出ている。
私は10年以上(30歳から40歳まで)、会合に出ず、
新聞も読まず、勤行もしなかった。
ですから、あなたの方がよほど素晴らしい人生です。
今、「会合には参加できるときに参加する、祈りたいときに祈るといった中途半端な状態」ということに引け目を感じる必要はありません。
周囲の期待は重いけれど、ときどき会合で笑顔を見せてあげてください。
特に選挙ともなると、あれこれ言われるでしょうけど、そういうときは「体調がすぐれない」と距離を置いてまったくかまいません。
とくに「うつ病」というのは仕方ないし、その事情を話し、
期間中会合を避けていいのですから。
ただ、この信心が絶対に正しいということは疑わないでほしいです。
私の幸いは、学会を疑ったことがないことです。
そのことだけはあなたさまも確信してほしいです。
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