☆挫折どう受け止めるのか.「師匠への誓いへの悩み」についてご相談がありました。
以下にご質問対し、私の意見を申し上げます。
Q1.私は教員をしていますが、精神的に参ってしまい、
長期の病休をとることになりました。
師匠に誓って勝ち取った教員人生だったのに、
非常に情けなく思っています。
公私ともに人間関係に行き詰まることも多々ありました。
こんな私は、魔に食い破られた姿なのでしょうか。
負けの人生になってしまうのでしょうか。
A1.あなた様は恩師に誓い、夢の檜舞台に立った。
生徒に、またその親御さんに、あなたは輝かしい
実証を示すはずだった。でも、挫折してしまった・・
私は精神的問題(うつ病など)を語ることはできません。
私自身にそういう体験がないからです。
そこで、客観的にあなた様が置かれている状況と
それにともなう使命について語りましょう。
学会には三種類の人がいます。
一つは、師匠に誓い、その誓いを果たす人。
二つは、師匠に誓い、その誓いが果たせない人。
三つは、師匠に誓うことをしない人、です。
まず、最初の誓いを果たす人は当然スゴイですね。
創価学会員としての見本であり、勇者です。
しかし、果たせない人がいますね。
まして、池田先生に薫陶を頂いたり、大学などで直接励まされ、
でも結果として敗北する人生もあります。
そしてもう一つは、先生に誓わない人がいますね。
その人は、誓わないというより、誓えないのです。
誓えるだけの自信がない。(私はこの第三番目でした)
ただ、二番も三番も共通するのは「挫折」です。
その挫折の原因が、ある人はうつ病であり、ある人は学歴であり、
ある人は身体的問題だったりします。
しかし、ここからが大事なのですが、人生はそもそも
「思い通りにならない」という性質のものです。
そして、それが圧倒的人々の共通の悩みです。
このことを理解するならば、あなた様の挫折は敗北ではなく、
多くの人の不幸の一つであり、実はその不幸を克服し、
蘇生し、適応して、幸せ溢れる人生にすることが
使命であり、ひいては楽しみだということ。
人生には山あり、谷あり、まさかの坂もあります。
この苦難の歩みに、全員が苦しみもがきます。
確かにあなたは谷間に落ちてしまった。
見上げれば這い上がれそうにない絶壁なのかも知れない。
そう、私もその谷に何度も転落した人間です。
師匠への誓いの「教師」継続はムズカシイかも知れない。
まず今は「絶壁の谷間からの脱出」という誓いに変えるべきです。
師匠は知っていますよ。沢山の人たちが誓いを果たせないこと。
しょぼくれて、うつむいて顔をゆがめていること。
計算通りに行かないのが人生ですからね。
誓いは都度、立てるのです。
「足下を掘れ、そこに泉あり」です。
今の立場で、幸福を作るのです。
私は使命とは、種が発芽した大地に似ると思うのです。
ある種は肥沃な大地の中央に発芽し、順調に根を張って大木になります。
けれど、ある種は岩場に発芽し、思うように根が張れない。
根を張ろうとても厚い岩に阻まれている。
その岩を割ることは万が一できても、自分にはできない。
ならばどうするか、違う方向に根を伸ばすことです。
成長に好ましくない環境にそれでも根を張り、
幹を太らせ、葉を茂らせることです。
肥沃な大地の大木は、確かに威風堂々としているけれど、
岩盤に挑み生き抜く木もまた素晴らしいですね。
師匠への誓いのカタチは教員なのでしょうけれど、
本当の使命とはあなたがあなたの人生を使い、
苦難を乗り越え、幸福になる実証を示すこと、
あなたのオリジナルの広宣流布を果たすこと
なのではないでしょうか。
以上ご質問を頂いた記事を以下に示します。
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