☆贅沢は虚しくつらい.世の中、豊かさをお金の量と考える人は多い。
私も、お金が豊かさの要素であることは否定しない。
しかし、何事も度が過ぎると人を不幸にする。
贅沢なホテルへの宿泊、贅沢な料亭の食事・・
そういう「特権階級」の快楽が近頃、私は嫌で仕方ない。
できればそういう贅沢な世界に関わりたくない。
私は平凡でささやかな生活ができればいい。
むしろ贅沢とは異常な世界である。
空飛ぶ鳥たちは、贅沢をするだろうか。
地を走る動物たちや、海の魚が贅沢をするだろうか。
植物も昆虫も必要な量の食べものを得て生きている。
むしろ、過剰な栄養は植物を死滅もさせよう。
おおよそ人間だけが、富を無制限に得ようとする。
贅沢病の人々の生活は、餓鬼界なのである。
夜、贅沢な晩餐を楽しみ、二次会に出向く。
飲みながら、夜の女たちと延々、クダラナイ話で盛り上がる。
そもそも、なぜ、こんなことをするのか。
異性との対話が楽しいのだろうか。
酒が旨いからか。私には理解できない。
稼ぎあっての遊びにしても、一晩に何十万円も浪費する。
そうして、夜遅く帰宅し、翌朝も食事をして、
さらに間食して、ブクブク太っていく。
歩くのが面倒だからタクシーを使い、
身の回りの装飾にガンガンお金を使う。
そういう浪費をする金持ちに長く付き合ってきて、
私は心の底からウンザリしているのだ。
けれど私はそういう人たちに賞賛し、感動するふりをし、
その生活が嫌でいやで仕方ないのに笑顔で接し、
情けないがその対価として給料を得ている。
私とてお金が必要だからであるが、
定年退職を境にその生き方を変えるつもりだ。
大量生産、大量消費が円滑に回れば良いが、
大量に売れ残り、残ったものは廃棄されてゴミの山だ。
儲けることにのみ奔走し、ガンガン突き進む。
これは健全な姿ではない。オカシイ。
人間とて、鳥や魚と同じ生き物なのであり、
もっと無理無駄を排除して、シンプルに
歩むべきではないだろうか。
今はとにかく餓鬼道のビジネスを耐え忍ぼう。
そして60歳定年以降、私は銭カネの世界を捨てて
清く、正しく生きたい。
いや、生きてみせる。
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