☆純粋な信心の楽しさ.前回の記事では、離婚で未活になったことについて
「当然です」「問題ないです」と申し上げました。
sokamori2.exblog.jp/29614643/今回は、信心の楽しさについて申し上げます。
A3.>御書を読みたいなぁ。信心にふれたいなぁ。
>いつも、思いっきり楽しめてないという思いがあります。
あなた様、信心を求めていらっしゃる。
その信心とは、世界に類のない真実の仏法、
そして私たちの師匠であり、父である池田先生の
創価学会の信心に今一度触れてみたいとのこと。
あなたが未活になって、何年経過されているか知らないけれど、
きっと10年とか、それ以上の空白があることでしょう。
私は27歳にして離婚し、そこから組織を離れ、
でも30歳にで再婚するプロセスで多少組織にいました。
でも、まったくの受身で、年に2度ほど座談会に出る程度でした。
そこから10年、40歳になるまで未活動でした。
学会を離れ、仕事に没頭して、あの窓際族になったのです。
sokanomori.exblog.jp/15414796/私は長く冬眠していた小動物のようでした。
1日20分の題目が精一杯でした。
そこから学会の書物を読みあさり、
やがて座談会に参加したのです。
最初の座談会はブロック座談会でした。
温かで、清らかで、懐かしい会合でした。
しらゆり長の笑顔が心に染みました。
ただ、参加して、挨拶だけして帰宅しました。
そこから地区座談会にも参加しました。
そんなリハビリのようなスタートから、
新聞や大白蓮華を読んで、やがて御書拝読を始めました。
周囲との人間関係もほとんどないところからの
ある意味純粋な信心はとても楽しいものでした。
周囲の目を気にして「こうでなければならない」とか
そういう相対的な、世間的な視点からの信心ではなく、
御本尊と自分、御書と自分、月に一度きりの座談会への参加で、
しがらみのない純粋な自分と学会との関係。
「学会という組織はい故郷のように受け入れてくれる」
その安心感と居心地の良さ・・
そこには新聞啓蒙も選挙もありません。
純粋な信仰があるばかり。
私、窓際族でどろどろの世界にいた。
その不気味な世界に生き、そして学会の世界を一方で見て、
その格差は転地雲泥のものだったのです。
表面的に一般世間にも美も善もありますけれど、
詳しく見ると醜く、独善的で、嫌らしい世界が
どこまでも続く世界だったのです。
対して、創価学会だけが純粋で美しかった。
その創価の本当の価値を、私は40歳で知りました。
以来19年、私は平凡な信心を続けたのです。
それで還暦になり、定年退職になります。
そこから「第二の人生」なのですが、
これはあなた様と同じく、新しい第二章の始まり。
今年の初め、退職に向けて書いた記事を示します。
sokafree.exblog.jp/29233443/今、私の残された実務日数は120日を切りました。
このことは、あなた様の心根とよく似た点があるのです。
あなた様は純粋な信心回帰への思いがある。
私は純粋な仕事回帰への思いがあります。
27歳までの私は純粋に仕事を楽しんでいました。
今は、利益、勝他の闘争を強いられるのです。
私にとって定年退職とは、修羅の世界からの脱却です。
安月給で純粋に仕事をすることが夢です。
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