☆唯一絶対と信じ切る.「使命とは何か」という記事を20編書きました。
その根本が「利他」で、その最高の存在が「広宣流布」ですが、
この実感を得られたら、すなわち幸福なのです。
では、この広宣流布の決意、実感はどうすれば
手に入れることができるのでしょう。
私はその実感を「苦労」の中から得たのです。
多くは仕事でしたが、プライベートの問題も含め、
悩み、もがき、祈り、行動する中で、小説・人間革命を読み、
大白や新聞や御書を拝して気づいたのです。
悩みは、なかなか突破できないものです。
一週間や一カ月で解決でるような内容ではなく、
数年単位、あるいは十年にも及ぶような大きく深い悩みと
戦いながら、それでも「きっと突破できる」と
歯を食いしばって歩んで、あるとき、
地獄の苦しみがぱっと消え失せるのです。
確信であり、気づきであり、悟りとでも申しましょう。
とにかくビックリするような心の変化があり、
以来、幾多の苦難は生まれても、乗り越えていけるし、
かつ、使命感と幸福感がずっと続くのです。
大事なことは、池田先生もご指導されていますが、
「祈り抜く」という行為が、どこかで必要なんです。
あくまでお題目が根本になければ成し得ない。
私は300万遍の題目を唱えたのです。
それはそれは真剣に祈りました。
あくまで私の場合ですが、多くの人たちの体験も
同じ方程式のように思いますがいかがでしょう。
悩み+ 祈り+ 行動+ 時間= です。
真剣に信心を継続することです。
考えた、思ったという程度では広宣流布の心は得られません。
観念なんか何の意味もない。実践しかないです。
中心に御本尊がなければならない。
そして、学会の教えがなければならない。
祈り、学ぶ。求め抜くことです。
その時に、人間革命が起ります。
学会でないとだめなんです。
日顕宗ではだめですよ。
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