☆低い次元に幸福なし.先日、35歳前後の時の詩をたまたま見つけて記事にしました。
→sokamori2.exblog.jp/29889511/今にして詩を読み返せば、ありあまるエネルギーは感じますが、
殺伐とした修羅の世界でのたうち回る当時の姿に、
「なんて不幸な人なんだろう」とわれながら思うものでした。
事実、私は幸福ではなかったのです。
仏法は「境涯論」と言われますが、このような六道輪廻ではだめで、
ハードボイルドな「修羅」も勝てば官軍だとしても
いつも未来への不安を抱えて生きなければなりません。
仏の境涯を開き生きる「地涌の菩薩」でなければ
この世は闇であり、濁悪でしかありません。
この世は、たった一人の小さな自分に変えることはできません。
矛盾に満ちた、娑婆世界全体を変えることは不可能です。
だとすれば、その世の住民である私たちは不幸に決まっていますが、
そこに仏法があれば、まったく不思議なことに
その娑婆世界が寂光土になるのです。
こう言うと、まるでおとぎ話や空想のたわごとに聞こえる
かもしれないけれど、私は60年生きて来て、その体験をし、
そして私は崩れざる幸福の中で生きているのです。
私自身、闇に生き、濁悪の世に翻弄されましたが、
信心の力で境涯が開け、その問題や障害を使命に変えることで、
この世はやりがいに満ちた、面白い世界になりました。
そして、同じ境涯の人々、すなわち使命に目覚めた学会員たちと
一緒に語らい、一緒に生きる途方もない幸せを得ました。
広宣流布という高い次元の使命を得れば、
この世の苦は楽へと変わるのです。
どんなにお金があっても、どんなに有名でもだめです。
高い次元の使命を得なければ不幸です。
逆に貧しくても無名でも、高い次元の使命を得れば幸せです。
見てくれが平凡で、単なるおっちゃん、おばちゃんでも、
しっかりとした使命があれば王様以上に幸せなんです。
その使命を広宣流布と呼ぶと遠く聞こえるでしょうけど、
信心を根本に利他に生きることが広宣流布です。
親が子を育て、子が親孝行をするというようなことも
100点満点の高い次元の使命です。
その充実した人生を、学会員ならば得なければなりません。
得られないなら、学会員であっても名ばかりで
決して幸せになれないのであります。
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