☆全員同じ経験をする.座談会で歓喜をもらって帰宅するのが本来の目的だし、
そうありたいもの。でも、真逆に落ち込んでしまうこという
ケースもあります。以下に、その例を示しましょう。
Q1.>座談会で辛い胸の内をやんわり言ってたところで、
皆はむしろ新聞啓蒙を頑張っている報告ばかりで、
自分がひどく惨めで、帰り道は号泣しながら帰りました。
今、学会活動が嫌で嫌で、そんな自分が惨めで仕方ありません。
(辛いできごとを)御本尊様にしか言えず、
汚い胸の内を吐露するしかない勤行になっています。
A1.これは何も座談会に限ったことではないですよね。
職場にもおいても友人関係においても「ありがち」だし、
私自身もそういう経験は沢山しました。
周囲は活き活きして歓喜し、飛び跳ねている。
だのに水と油。「私の居場所はない」と
惨めな気持ちになって帰宅する・・
どうなるか。職場なら退職、サークルなら退会、
同じく座談会には出なくなるし、
やがて活動もしなくなります。
そういう人は多いし、私もその一人でした。
選挙でFを取っている人は元気に発言するし、
Fを取れない人は会合に参加しずらい。
それはある。でも、取れなかった、取りたくない
という心情は普通だし、そういう状態にあれば、
「ごめん、今回はやる気になれないの」と
そのまま言えばいい。その場に溶け込めないことも
「仕方ない」と腹をくくり、「でもいいんだ、
今回はやらない」と切り捨てていいのです。
新聞啓蒙やらなければならいとか、Fを取らなければ
義務を果たしていないとか、そんな観念はきっぱり捨てて、
「いつかできる自分になりたい。でも今はできない」
と気持ちを切り替えて、そう発言して
「けろり」としていいのです。
もし、「1つでも啓蒙やってよ」と言われたなら、
「今はやれない。ごめんなさいね」と笑顔で謝ればいい。
会合が楽しく、歓喜をもらって帰宅する人たちには
ある共通する「感覚」があります。
それは「誰もが不幸だと知っている」のです。
人生は長い。できない時期もあります。
これ、全員が全員、そうなんです。
名だたる幹部も、全員が全員、自らの宿業と戦い、泣きながら
題目を唱え、辛酸をなめ、解決できたことも、
できなかったこともあります。それが人生だから。
幸せばかり、やることなすこと全て手に入るということも
ありませんから、それを理解するべきでしょう。
その場に居たたまれなくなるのは「自分だけ」と
思うからなんです。そんなことはないです。
みんな、前向きな発言しかしないから、
悩みが見えないだけで、みんな悩みがある。
もちろん、全ての戦いにしっかり取り組み、
連戦連勝する勇者はいます。それはスゴイことだし、
そういう人たちが学会を支えているので、
むしろ「スゴイね。ありがとうございます」と
感謝し、憧れておけばいいのです。
今はできない。でも10年後にはできる自分になろう、
10年でだめなら20年後になれる自分になろう、
そんな気持ちで歩んでいただきたいです。
私は福子ですし、少年部から学生部まで信心をやって、
でも社会人になってまったくやらなくなった。
それは仕事で体力も気力も使い果たし、
活動もできないし、勤行も唱題もできないからで、
やがてまったくやらなくなりました。
でも、聖教新聞だけは取っていました。
その聖教新聞もまったく読まないのです。
聖教新聞を取りながらも活動に出ず、新聞も読まなかった。
信仰心はあった。学会員の自覚もある。
でも、ずっと活動から離れたのです。
その理由は、「皆はむしろ新聞啓蒙を頑張っている報告ばかりで、
自分がひどく惨めで、帰り道は号泣しながら帰りました」と
いう心情とまったく同じでした。
「俺は一生、学会活動もせず死ぬことになるんだろう。
今世は広宣流布は無理だから、来世やろう」
そんなことを考えながら、空虚な心に居たたまれなくなり、
でもどうすることもできない自分がありました。
ともかく、広宣流布への憧れや決意は心の奥底にあっても、
それが取り出せない時期があるし、
それは全員あったし、今もあると
気を楽にしていただきたいと思います。
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