☆福運のなさ、罰、宿業?森通信の記事に非公開でコメントが寄せられました。
私の個人的な考えを申し上げたいと思います。
コメントがあった森通信の記事を以下に添付します。
→sokafree.exblog.jp/30498893/>就職し、驚く速さで昇進。ですが何でも引き受け
フル回転だった活動から遠のきました。
(やがて沢山の苦労を経験して)親の信心に
守られてきたのだと思います。
(体に問題があり)なんでこんなことに
なったんだろうと鬱状態になりました。
活動から離れたから福運がなくなり酷い目にあっている・・
罰なんだと自分では思っています。
過去世の宿業なんでしょうか。
先日の婦人部の方へのブログを拝見して、
フル活動でなくていいんだと安心しました。
これからは唱題をちゃんとして、自分のペースで
活動をやっていこうと思います。
このコメントをくださった方(以下、Aさんと呼ぶ)の人生は
ある種、私の人生に似ているところがあります。
それは、私が離婚問題で必死に百万遍を唱え、後転職、
とんとん拍子に出世して、でも信心はせず、
10年以上未活動となって、やがて
「窓際族」になったことに類似します。
さて、Aさんのコメントには、福運、罰、宿業という
言葉がでてきて、このことに感じることを
以下に申しげたいと思います。
まず、「活動から離れたから福運がなくなり酷い目にあっている」
ですが、たしかにそういう部分はありますが、
活動から離れた=福運がなくなる・・
ではなく、「境涯の変革ができていない」
この一点に集約されると感じるのです。
「罰」はないと思います。「宿業」はあると思います。
活動しないから罰でるということはない。
信心は「やった分」だけ功徳ですから。
罪を犯せば罰になりますが、活動しないことが
罪だという感覚は私にはありません。
福運はないのではなく、Aさんにはちゃんとあります。
福運の究極は「学会の信心」があることです。
この根っこが最大の福運ですから。
残るは「宿業」ですが、これだけは厳然とあります。
信心で宿命転換しなければなりません。
信心とは、信・行・学の実践です。根本は唱題です。
唱題と共に大事なことは、これはあくまで
私の場合ですが御書と小説・人間革命でした。
勿論、そこから学会活動も始めましたが、
つぎのような行動をしたのです。
唱題→努力(問題解決のための努力)→御書拝読(学会書籍含む)→
唱題→努力→御書拝読→唱題→努力→御書拝読・・
※例:病気を治すための努力とは、治療を受ける、
その病気の勉強、生活習慣を正す、食事、
運動などの改善努力になります。
この繰り返しでした。考えてみれば最初の信心
「離婚問題」のときもそうでした。
活動をしたから、しないからは関係がなかったのです。
勿論、活動は信心を深め、刺激を受けられ、
また相談相手も得られで有益ですが、
一番は「御本尊と自分」であり、
「自分の努力」だと私は強く思っています。
これも私の感覚ですが、活動が苦しいのは
宿命転換ができていないからで、
別の角度から言えば境涯が低いからです。
私は窓際族で死ぬ気で唱題し、ある日、境涯が
ぐるりと転換しのですが、そのときに
掴んだ境涯の影響で、それまで嫌いだった
学会活動が大好きになり、今もずっと楽しいのです。
それは学会活動だけではなく、仕事も
なにもかもが楽しくなるものでした。
境涯開けるとどうなるのかですが、表現が難しいのですが、
強くなりくよくよしなくなるし、ハンディすら
個性というか、武器に変わるし、すなわち
「ありのままの自分」で社会に貢献できるのです。
それまではコンプレックスだったことすら、
あからさまに語り、他を励ますようになります。
Aさん、チャンスですよ。あなた様の宿命転換の
時が来たと言っても過言ではありません。
「信心しかない」となったら大丈夫と
よく言われますけれど、そうなんですよ。
信心と努力、祈りと挑戦の繰り返しで必ず、
世界一の幸せ者になれます。
ガンバレ、Aさん!!
<別館>ブログトップへ