☆どこまでが「本人」?読者の方から次の内容のコメントを頂きました。
>90歳になる母が昨年から認知症が悪化、転倒して骨折し、
来る日も来る日も痛みと不平不満ばかり。
私に信心を教えてくれて、大学まで出してくれて、
沢山の感謝があるけれど、最後の最後、
こんなにつまらない人生なのか、何のために
生きているのかと感じてしまいます・・
要約するとこんな内容で、とても気持ちがストレートで
私もその気持ちは良く分かるのです。
「信心していたのに」「どうして?」・・
肉親にそのように思うことは理解できます。
さて、私は介護施設に勤めているため、高齢者が
様々な晩年を過ごしている姿を見ています。
そこで感じることをきょうは話します。
まず、認知症ですが、認知症というのは、本来の人格や
品格か「違ったもの」になるのです。
おだやかで、やさしい人だったのに、
認知症が進むとヒステリーになったり、
あるいは訳の分からないことを
話すようになったりするのです。
見ていて「同じ人ではない」と感じるのです。
例えるなら、脳梗塞で半身まひになり、手足はついていても
「動かない」ようなもので、今まで動かせたのに
まるで動かない、そのぐらいに認知症は
「変貌する」のであり、そういう状態を見て、
私は「病気」だという認識になりました。
「おかしな人」と思ったり、「いやな人」と腹を立てて
いたような人ですら、「病気だから仕方ない」と
思い、過去と現在とを別々に考えて受け止め、
「おかしい」と思わなくなったのです。
職員の中には、そういう「病気」を病気と捉えられず、
その高齢者に腹を立てたり、憎悪したりして
「こんな仕事、やってられない!」と
退職したり、言い返したりするのです。
90歳でも、意識がはっきりしていて、本来の自分を
保ち続ける人がいますが、中に「変化」する
人がいて、もしかすればお母様は
病気のために変化している可能性もあり、
その視点から言えば「「こんなにつまらない人生なのか、
何のために生きているのか」と考えないで、
違う視点で受け止める必要があります。
私は介護施設で二年余仕事をして、多くの高齢者を観察し、
今におかしな行動や発言をする入居者も
過去は素晴らしい人だったり、
立派な人だったりもしていたのではないか、
「脳が衰え」「欠損」して「違う人」に
なっているのではないか・・
そんなふうに認識するようになりました。
脳が病気になると、半身まひのように思考が働かず、
例えば「言語障害」となり、聞こえる話は
理解できても話せない、また逆に
話せても耳にする言葉が理解できない、
という事態になってしまいます。
脳の損傷の部分によって感情が変化したり、
行動が変化するようなのです。
だからと言って、現実が納得できないかも知れない。
ただ、「その今の姿」=「お母様の本心」ではない、
「本来のお母様ではない」という認識に立つなら、
もっと違った受け止め方ができると思うし、
対策も変化すると感じるのです。
このことは一つの記事に収めきれないので、
連載記事して、さらにお話します。
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