☆何のために生きている?前回の私見①の記事を、以下に添付します。
→sokamori2.exblog.jp/31321356/前回、「どこまでが本人なのか」について少し話しました。
例えるなら新車の時代のクルマと、古びて
ガタがきているクルマとの違いです。
クルマは修理すれば直りますが、
高齢者の脳の変化は元には戻りません。
ワイパーのゴムが古くなると、ワイパーを動かしても
視界は良くなりませんし、タイヤが摩耗していると
ブレーキを踏んでも短距離で停車できない。
このように年齢とともにあらゆるパーツが
本来の能力を失って、過去のように
話したり、感じたり、動けなくなります。
脳の場合は、あらゆる感情を変化させます。
私の施設に徘徊が激しく、手当たり次第にモノを盗んで
どこかに放置する、あるいは他人の部屋に入り、
他人の歯ブラシで歯を磨く、トイレでもないのに
放尿したり、入浴を極端に嫌い暴れたりと、
正常な行動ができない人がいます。
そういう人たちは、大便や尿すら認識できず、
掴んだり、なめたりしますし、およそ、
常識ではあり得ない行動をしてしまいます。
こういう人は明らかに脳が弱ってしまっている。
当の本人はそれでも生きています。
本来の自分ではないけれど生きている。
私は近ごろ、次のように思うようになりました。
>人は死ぬ時期を選べない。どんなに無意味に思えても、
でも生きる意味はある。家族としては苦痛なく、
安穏に生きて死んでほしいと願う。
そもそも、現役時代こそ大事で、引退した後の人生なら、
老いからくる奇妙なことは仕方ないし、
それは恥ずべきことでもない。
>癌で死ぬことを人は恐れるが、癌は確実に正常に死ねる。
むしろ、脳の障がい者はいつ死ねるか分からないから、
奇怪な行動をとり、迷惑をかける行為に家族は
神経も体力も延々と使うことになる。
脳に障がいがあるなら、家族は手に負えないから、
施設の力を借りるべきだ・・
病気になったら医師にその解決を委ねるように、
認知症など、脳の障がいもまた、医師や
介護施設に任せていいのです。
今の私には迷いなく、次の確信があります。
「悩んでも仕方ないことがある」
「当然のことと考えれば悩まなくなる」
「過去に感謝し、今を支える」
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