☆福祉活用のすすめ.「なぜ、こんな状態なのに生きているんだろう?」
そんな疑問は、変貌した人を見れば
そう思うことは当然です。
「いっそのこと、死んだほうがまし」
ということも現実としてあります。
ポイントは、脳に障がいあり、正常に生きられない人は、
放置すれば死ぬという事実です。
正常に見えても、自分で買い物もできない、料理もできない、
食べさせてもらわなければ食べれない、
口に入れれば食べるのですが・・
こんな人は自力で生きることはできません。
天涯孤独で、ひとりぼっちなら
半月かからず死んでしまいます。
しかし、世話をすれば数年、あるいは
10年以上、生きながらえます。
すなわち、当の本人に生きる能力がなくても、
支えによって、寿命は伸びるのです。
命というのは不思議なもので、一生の間にも未熟な時代があり、
輝かしい時代、歳老いて家族に迷惑をかける時代があり、
弱って、もはや自力で動けない時代もあります。
それぞれの時代は、まるで別の人生のように見えます。
どんなに弱っても自殺はできない。自殺は仏法では禁止です。
自殺についてはまた別の機会に話しますが、
命あるかぎり(延命は別として)
人は生き、天寿を全うしなければなりません。
さて、人は一人で生きられない。親がいて、
周囲に幾多の関係者がいて、
その揺り籠の中で育ち、やがて友を持ち、
仕事をし、人生を楽しみます。
しかし、遊楽とは対象的に人生には苦悩が存在します。
病や老いという生命の崩壊です。
生まれて人生を楽しんで、
でも、弱り、死んでいきます。
これだけを見れば良いのか悪いのか分かりませんが、
私たちは仏法を学び、死が次なる生の
始まりであることを知っているから、
その視点から見れば、死は若さを
取り戻すために必要なもの。
その死へのプロセスは安らかで
美しいものであってほしい・・
そう、誰もが願うことでしょう。
苦痛の少ない死へのプロセスには知恵と工夫と
家族や周囲の支援が不可欠です。
病状に応じ、細かに配慮しないと
本人も家族も苦しみます。
高齢者にとって必要なことは家族の支えであり、福祉の活用です。
全てを家族で面倒をみることは私は賛成しません。
なぜなら病に伏した親の苦痛を
和らげる技術も時間もないからです。
故障したクルマを、自分で直せるだけの技能があればいい。
でも、その技能がないのに修理しようとしても、
迷い、苦しみ、あるいは失敗するでしょう。
私は、病状が進んだ場合は、福祉の活用を
すべきたど考えます。日本の福祉の力は
高品質で低コストだからです。
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