☆人生勝利の二つの要諦.シリーズでいくつか「老い」をテーマに語りました。
深く話せば、他の角度からの思いもありますが、
この記事で、一応最後にいたします。
老いは病に等しく、所有する能力が失われ弱まります。
人は所有している能力とエネルギーを放出し、
新たにエネルギーを蓄えることを繰り返します。
若い時代には大きなエネルギーがあるため、そのエネルギーを
使って様々なチャレンジをして活躍します。
しかし、年老いるとエネルギーの質と量とが減り、
活動範囲が小さくなり、けれど、力は果たすから
小さな行動範囲でも十分に満足できます。
オートバイに例えるなら、赤ん坊は30ccのエンジン、
幼稚園は50cc、中学生は125cc、やがて
大人になり社会の檜舞台に立つと750cc、
それが60歳をこえるころには250cc、
やがてその力も年老いれば50cc以下になり、
最後はほとんど力が出せなくなります。
学会員としての勝利は「実証を示す」に尽きるのですが、
それは現役時代に勝利するということで、
引退後は学会に泥を塗らないことが求められます。
私は60歳で定年退職したとはいえ、今だ現役です。
60歳までの人生は、私としては大勝利を果たすことができました。
職場では、最後まで私は学会に泥を塗りませんでした。
いくども危ない橋を渡りましたが勝利を続けました。
引退することで「不動の勝利」を手にしたいと思っています。
今は介護現場ですが、今も勝利を続けています。
しかし、いつ何時、泥をするかも知れない。
交通事故、介護現場での不注意から重大事故を起こすかもしれない。
道は長く、未来の予測はできません。
そんな歩みの中、自力で生きられる間は何とかなっても、
脳が衰え、自分が本来の自分でなくなったら、
その時はどうなるのでしょうか?
その時は、他の人の力を借りるのです。
そうして最後まで泥を塗らない。
歳老いた親も同じ。現役を終え、身体も弱まり、名誉も保てず、
そういうことになれば、子が親の名誉を守るのです。
親がおかしくなっても、その穴埋めを
子が果たせば、人生を勝利に導けます。
老病そのものは敗北でもなんでもありません。
問題は「老病」で発生しうる悲劇であり、
しかし、正しく対応すれば悲劇ではなく、
安楽で美しい老病にできるのです。
私はその事実を、介護施設で見ています。
嘆くことではありません。
以下に、このシリーズの最初の記事を添付します。
→sokamori2.exblog.jp/31321356/<別館>ブログトップへ