☆ソフィーさんから以下のコメントを頂きました。
>私は発達障害の傾向が強くあり、長年生きづらさを感じてきました。仕事でも、組織の闘いでも、どこまで、どのように頑張ることが自分にとって合格でベストなのかわかりません。これまで、全力で頑張っては倒れを繰り返してきていたのですが、願った以上の大功徳をいつも頂いており、家族みんなでこんなにも幸せにして頂いたので、師匠と学会になんとしても報いていかなければ罰が当たるというような危機感がいつもあります。
この苦しみは何故なのか、私には生命力が圧倒的に足りないのではないか?と思い、去年の夏から一念発起して題目に挑戦しはじめました。力尽きている状態の時も、闘いを全うできるのか不安でいっぱいの時も、生命力が湧き上がるのを感じ、題目は本当にすごい!!!と魂が震えるほどの確信を掴むこともできました。
しかし、頭は休まることがないため、いつも苦しく、極度の疲労感を感じており、また選挙戦も絶え間なく続くので、最近は日々やることさえも何から手をつけたらいいか判断がつかなくなってきています。これは脳が完全に機能停止しかかっているのではないかと、不安が出てきています。しばらく闘いを手放して、休息しなければやばいのではないかと・・でも一時的にでも目標を手放して休息することがとても怖いのです。
>私にとって、この数年もっとも精神的負荷がかかるのは選挙の闘いです。この時期は同時に複数の友人知人と頻繁にやり取りが続くので、脳がずっと熱をもった状態で朦朧としています。起きてる時間はずっと友人知人のことが頭の中で回転し続けていて、とてもきつい状態です。選挙の時期は、家事も育児も最低限のことしかできなくなり、娘にも泣きながら、ごめんね…でも大事なことだから頑張らないわけにはいかないから…と家族にも心配をかけています。
人間革命の道、成仏への道、報恩の道は、とても険しいものだとわかっているつもりです。死ぬような思いでしかできないと思っています。だから、倒れるまで頑張るべきだという感覚ももともとあります。でも、倒れてしまったり、死んでも悔いがないようにと、チャレンジすることは、家族にとってはある意味無責任になるでしょうか。
今の自分にとっての、ベストな闘い方はどういうものなのか、どう判断していったらいいと思われますか?一人ひとり持っている生命力やキャパが異なるので、万人共通の基準がないことが難しい点だと思うのですが、どうしたら病んでしまうことを避けることができるでしょうか?
女性部の先輩にもこれまでご相談してきたのですが、私の抱えている感覚は同じ特徴を持っている人でなければ、理解しずらい部分があると感じます。無理はしないでいいと、温かく励ましてくださるのですが、結局題目で乗り越えるしかない!という発想にしかならないのです。
補足になりますが、家族は私の特性を良く理解してくれており「あまり根を詰めすぎないように」「頑張りすぎないように」といつも心配します。
(けれど)新聞を開けば、会合に出れば、「限界に挑戦」「自己の新記録に挑戦」という文字。私は自身の能力、キャパがとても小さいので、何をやってもすぐに100%を超えてしまい、持てる力の150〜200%で取り組むことになってしまいます。
選挙で友人に支援をお願いする場合も、ひとりに対して数時間ではなく数日分の心も時間もエネルギーも使い果たすことになります。相手に合わせた実績等の資料も時間をかけて用意します。それは相手に絶対不快な思いをさせたくないという怖れと、公明党の誠実さと偉大な実績を理解させたいという思いと、ひとりを徹底して大事にしたいという信念からです。
ですので選挙でわずか10人、20人の友人に支援をお願いするだけでも数ヶ月間にわたって、自己のすべてのエネルギーを友人ひとりひとりとのやり取りに注がなければならないのです。そうしなければ、相手に真心が伝わらないような気がしてしまうのです。
時間を決めて取り組むことにも挑戦しているのですが、時間内では数行しか書けず、おそらく脳機能も落ちているせいなのか、言葉ひとつひとつを考えるのに時間がかかり、とても短時間で書き上げることができません。今日も女性部の先輩からのLINEの返信を10分程で書きあげたかったのですが1時間15分かかってしまいました。
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一部文章を変更、または省略し掲載しました。
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