☆池田先生がご逝去されて以降、
私は日顕宗批判の記事を沢山書くようになりました。
それは日顕宗信者が亡くなられた池田先生を
あざ笑う記事を書いたからで、
本当に許せなくて、仇討ちぐらいの
気持ちで書いていたのです。
その批判文書に対し「まるでダメ男」氏は
「だんまり」で反応しません。
なぜ反応しないのでしょうか?
それは彼自身に実証がないからでしょう。
私が「理屈ではなく実証が大事」と書いた記事に、
彼は一度だけ反応しました。
その反応とは「仏法は理屈だよ」とのこと・・
バカバカしい反応でした。
私たちは理屈のために生きているのではありません。
生きるための補助として理屈があるのであって、
仏法が単なる理屈なら誰がやるのでしょう。
忙しい現代人が理屈の勉強するなんて、
よほどの変態・暇人だけでしょう。
きょうのご飯を食べ、目の前の悩みを克服する、
どうしようもない悩みを解決する・・
その実証こそが大事なのです。
私は過去、離別後も日顕宗をここまで不快に
思っていませんでした。ですが、
今は、絶対に許せないという
気持ちで一杯です。
彼は池田先生のご逝去に際し
高笑い記事を書いた。
95歳の天寿全うを笑うなんて、
普通の人ならできません。
日顕宗が知らなければならないのは、
「批判から広宣流布は生まれない」
ということなのです。
強面で牙をむく人に誰が近づくでしょうか。
年がら年中、毒を吐いている人など
普通の人は見たくもないのです。
以前、「鏡をごらんなさい」という記事を書きました。
他人様の批判する醜い姿、不幸をあざ笑う
不気味さ、根拠なきデタラメさ・・
その奇怪で不気味な己自身を見ることができない、
分からないという状態なのでしょう。
それこそが「罰」だと指摘しておきます。
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