☆私は解散命令に反対です.先日、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に対する解散命令請求の東京地方裁判所審理がすべて終了したようです。
国は170人以上の被害者らへのヒアリングなどから「教団による被害は甚大」として解散を求めているのに対し、教団は「献金は宗教活動の一環で、正体を隠した布教活動はコンプライアンスを指導した2009年以降なくなった」として解散命令の要件にあたらないと反論しています。
これまで国内で解散命令を受けた宗教法人は二つのみ。 オウム真理教と明覚寺で、この2例は、刑法違反が根拠でした。明覚寺の問題は、「あらゆる悩みを解決します」「霊障による苦しみや悩みを霊視によって原因を究明します」など、新聞の折り込み広告などで宣伝。問い合わせてきた人を「寺」と称するビルの一室などに勧誘し、やってくると「教師」という名の霊能者とされる人物が“霊視”を行い、「水子の祟り」「先祖霊の祟り」などと脅かしたという。その上で、供養しなければ「子どもが自殺する」「夫が交通事故に遭う」「結婚できない」など不幸を並べたて、供養に多額のお金を支払わせたという。その額は少ない人で60万円、多い人では数千万円に及んでいました。
さて、仮に献金の金額が問題なら、500万円はだめで50万円は良いのかという議論になると思います。加えて、その献金を問題だと考え、怨んで殺人を働く人がいた場合はどうなるのでしょう。暴力は、正当化されていいのでしょうか。そして、暴力行為を行った信者より教団側が問題とされるのでしょうか。
司法が献金という真心の行為を「マインドコントロール」として処罰すれば、日本は大きなお世話は有害という「無気力時代」を作ることになるでしょう。宗教の布施とオレオレ詐欺は同じではないでしょう。
統一教会が殺人をしたわけではないのです。曲がりなりにも教会を信じ、その信仰から幸福を感じている人がいる。宗教の正邪は別としても、信教の自由を国家が強制排除する場合、慎重かつ冷静な判断が求められます。
宗教をバカにする人たちからすると多くの宗教行事は容認できないものでしょう。あるいは特定の宗教を良しとしている人からも、異端の宗教は許せないでしょう。けれど、その異端を好み、異端を生きがいとしている人たちの存在を強制的に排除することに私は反対です。
そもそも教団は布施なくして成り立ちません。僧が僧以外の仕事をして収入を得ているならともかく、純粋に僧の仕事をしているのであれば、収入は布施以外にありません。寺の修復や庭木の手入れや、催事の物品購入など資金が必要であり、まして地震などによる建物の損壊や老朽化による設備の不具合を整備するには資金が必要です。宗教を大切に思い、教団の繁栄を願う信者が真心の供養をしたいと願うことを、金額に上限を設ける議論にも私は反対です。
私には後継の子供がおりません。もし仮に妻が先立ち、私が最後に残るとするなら、私が所有する財産の多くを、私の死後、私が所属する宗教団体に寄贈する手続きをするでしょう。その金額が数千万円に及んだとして、それはまったく罪に問われることではないし、それをあたかも教団側に問題があるというような世情にするなら、大変由々しきことです。
絵画に価値を見出し数億円で購入する。被災地に多額の支援金を送金する。ボランティアで無給で働く。これらは信教の自由に等しい行為です。自分のお金を何に使おうと、その人の自由だと私は思います。所属する宗教に発展を願い布施をすることを国家権力が阻むことがあってはなりません。
この旧統一教会の問題は、
全宗教に影響を与えるものです。
ゆえに私は解散命令には反対であります。
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