☆仏法は勝負、かならず結論が出る.
以下に、日めくり御書カレンダーの写真を添付します。

きょうの日めくりカレンダーの御文を以下にご紹介します。
にちれんは えんぶ だい1の ほけきょうの ぎょうじゃ なり. これを そしり これを あだむ ひとを けっこうせん ひとは えんぶ だい1の だいなんに あうべし.日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり. 此れをそしり此れをあだむ人を結構せ人は閻浮第一の大難にあうべし.2025年の今、日蓮大聖人はご存命ではありません。創価三代の会長も同じくご存命ではない。生きているのは私たちであります。富士宮一派は日顕の末裔、そして私たちは池田大作先生の弟子であります。日顕の末裔が、まさに日顕の境涯を持っていることに気づいたのは今年になってからです。池田先生をバカにする言動を繰り返すのを見て、今さら驚いたのです。
「同じ題目、同じ御本尊を拝んでもこんなにも違う境涯になるの?」と心底驚きました。そして今も、その信徒らによってC作戦は継続されていて、いつでも四月会は復活するということも知ったのです。
さて、昨日、私はその富士宮信徒の最新の記事の一部を創価の森通信に提示しました。その記事を以下に添付します。
→sokafree.exblog.jp/34520611/悪鬼人其身(あっきにゅうごしん)をあらわにする彼の狂言に、私は彼の将来を考えたのです。彼は果たして幸せになれるのだろうか・・彼自身は理屈の悟りで幸せだと言っています。仏法は悟りであり、実証ではないと言うのです。この時点で、学会員の多くはチンプンカンプンでしょう。けれど彼は大真面目にそう思っている。だから彼は「仏法は理屈だよ」と平然と言えるのです。
理屈は現実の解説でしかありません。商品の説明書でしかない。なのに理屈が大事だという彼の主張は創価学会員からすると奇妙なのです。「ああ、そうですか。そう思っているのね」という感じ。信教は自由であり、好き嫌いも個人の自由です。でも、私に限ってはまったく共感できない話です。
さて、その彼が信じて疑わない富士宮の宗教と私が信じて疑わない創価学会との高低浅深は、何によって証明できるのでしょうか。富士宮の説明書には「わが宗の信仰を実践すれば幸せになれます」と書かれている。一方、創価学会の説明書にも「わが宗の信仰を実践すれば幸せになれます」と書かれている。どちらも幸せになれる宗教のなのでしょうか?
この富士宮信徒は創価学会を「ミーちゃんハーちゃん」の宗教と言っているので、価学会員は不幸になるのでしょうか。ですが私は、どう考えても不幸ではないし、でも、彼の言うことが正しいのであれば、私はこれから大変な不幸に陥ることになる。果たしてそうなるでしょうか?
大事なポイントは「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」の御文です。世界一の法華経の行者は日顕なのか池田大作なのか、なのです。おそらく、その一点の真実によって、日顕の弟子と池田大作の弟子の幸・不幸が決まるものと思われるのです。
少なくとも私は、仏法の優劣の証明は体験にあるとしか思わないので、彼と私の勝負は、現在、過去、未来の「体験で証明される」のではないかと思うのです。私がこれから不幸になれば、彼の言う通り創価学会は邪宗です。けれど、もし私が不幸にならなかったら・・彼の発言はウソということです。また逆もしかり。彼が未来に幸せになれるなら彼の勝利です。
願わくば、私も彼も幸せになるべきですが、彼が創価学会をバカにしているのですから、少なくとも双方が幸せなることはないでしょう。
富士宮では日顕が英雄です。
創価学会では池田大作先生が英雄です。
互いに自らの組織の中心人物を
「閻浮第一の法華経の行者」と信じています。
そうしてお互いに熱心に信仰している。
富士宮さん、仏法は勝負ですよ。
口先だけではなく、
リアルの幸福で勝負です。
お互い、信心に励み幸せになりましょう。
私はあなたが不幸になることを
望んではいませんから。
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